女神の子 ― 聖レミの物語

① 変わった少年

むかし、麦畑と森に囲まれた小さな村に、レミという少年がいました。

レミは見た目がよいわけでもなく、話すことも得意ではありませんでした。要領もよくありません。

けれど、とてもまじめでした。

動物を愛し、植物を愛し、頼まれた仕事はこつこつと続けました。

傷ついた鳥を見つければ助け、乾いた草には水をやります。

「そんなことをして何になる」

そう笑われても、

「生きているから」

と答えるような少年でした。

ところが、村ではあまり大切にされませんでした。

変わった子。気味の悪い子。役に立たない子。

そんなふうに見られていました。


② 麦飯の湯気に現れた女神

ある朝、レミが麦飯を炊いていると、鍋から白い湯気が立ち上りました。

その湯気の中に、一人の美しい女性が見えました。

長い髪。

白い衣。

頭のまわりには、小さな光が輝いています。

レミには、それが女神さまに見えました。

「女神さまがいる」

うれしくなって大人に話しました。

しかし、返ってきたのは笑い声でした。

「ただの湯気だ」

「また変なことを言っている」

別の日には、薪割りをしていると、小さな小人たちが切り株の上で踊っているのが見えました。

それも人に話しました。

今度は笑われるだけではありませんでした。

「気持ちが悪い」

そう言われました。

その日からレミは、見えたものを人に話すのをやめました。


③ 教会へ送られる

少年は大人になりました。

けれど、人には見えないものを見ることは続きました。

森の中の光。

動物のそばに立つ人影。

誰もいない場所から聞こえる歌。

教会の奥に立つ、美しい女神。

やがて村の人々は、

「変なものが見えるらしい」

「おかしい」

「教会で面倒を見てもらったほうがいい」

と言い始めました。

こうしてレミは、半ば追い出されるように教会へ送られました。

教会でも、レミの話を信じる人はいませんでした。

それでもレミは働きました。

床を掃き、薪を運び、畑を耕しました。

そして女神が見えても、もう何も言いませんでした。


④ 「私にも見える」

ある日、遠い都から、法王に仕える高位の聖職者が教会を訪ねてきました。

なぜかレミだけが別室へ呼ばれました。

レミは不安になりました。

また追い出されるのではないか。

そして思わず言いました。

「どうか、ここに置いてください」

「働きます。何でもします」

「私には、ほかに居場所がありません」

すると、その聖職者は不思議そうにレミを見ました。

そして言いました。

「君は何か勘違いしているのではないか」

レミは顔を上げました。

「私にも見えている」

「え?」

聖職者は、レミの後ろを見ていました。

そこには、いつもの女神が立っていました。

「なんと美しい女神だ」

レミは泣きました。

生まれて初めてでした。

自分と同じものを見ている人がいたのです。

聖職者は言いました。

「女神の子よ。私と来なさい」

そして最後に、こう言いました。

「もう、不遇は終わったのです」


⑤ 聖レミと呼ばれる

それから年月が過ぎました。

レミは人々から、

「聖レミ」

と呼ばれるようになりました。

すると、人々の態度は驚くほど変わりました。

以前レミを馬鹿にしていた人まで、頭を下げます。

「聖レミさま」

「祝福をください」

「奇跡を起こしてください」

「病気を治してください」

かつて笑っていた人が、今度はひれ伏して拝むのです。

けれどレミには、別のものが見えていました。

人々のまわりに、重たい黒い煙が漂っていたのです。

金がほしい。

自分だけ助かりたい。

病気になりたくない。

奇跡を見たい。

特別扱いされたい。

その欲望が、黒い煙になって見えました。

そして煙の中には、一匹の狼がいました。

黄色い目をした、狡猾そうな狼でした。

昔は侮蔑の煙。

今は欲望の煙。

人々の態度は大きく変わりました。

けれどレミには、

「煙そのものは、あまり変わっていない」

ように見えました。


⑥ それでも人にはやさしくした

ある日、一人の老人がレミのところへ来ました。

「聖レミさま。腰が痛いのです。どうか奇跡を」

その老人は、昔レミを馬鹿にした人でした。

麦飯の湯気に女神を見たと言ったレミを、大声で笑った人です。

しかし老人本人は、そのことを覚えていないようでした。

レミは責めませんでした。

「痛いのですか」

そう言って椅子を持ってきて、老人を座らせました。

「奇跡を起こせるとは約束できません。でも、少し楽になるように祈ることはできます」

昔のことを忘れたわけではありません。

ただレミは、

自分が受けた冷たさを、次の人へ渡さない

と決めていました。

聖人になっても、それは変わりませんでした。


⑦ 聖人らしくない生活

聖レミの生活は、とても質素でした。

食べるものは、ライ麦の黒いパンや麦飯。

少しのチーズ。

野菜。

そして水。

立派な食事を出されても、

「麦とチーズで十分でしょう」

と言いました。

公式の場所では、教会から支給された法衣を着ました。

みんなが喜ぶからです。

しかし普段着は、農民と同じ野良着でした。

畑へ出て、泥だらけになります。

これには周囲が猛反対しました。

「聖人がそんな格好をしてはいけません!」

レミは答えます。

「畑を掘るのに法衣では汚れてしまいます」

「そもそも畑を掘らないでください!」

「では誰が掘るのです?」

「農民です!」

「私も農民ですよ」

そんなやり取りが何度もありました。

寝床も農民と同じ。

木の寝台に藁を敷き、毛布をかけて眠りました。

立派な部屋を与えられても、落ち着かなかったのです。


⑧ 祈りと開墾の日々

レミの一日は、祈りと労働でできていました。

朝、短く祈ります。

それから畑へ出ます。

石を拾い、根を抜き、水路を作り、荒れ地を少しずつ開墾します。

レミは開墾が好きでした。

昨日まで何もなかった土地に、芽が出る。

荒れた土が畑になる。

説教よりも、そのほうが分かりやすかったのです。

巡礼もしました。

教会から、

「この町へ行きなさい」

と言われれば行きました。

法衣を着ろと言われれば着ました。

儀式に出ろと言われれば出ました。

ただしレミ自身は、教会という組織をそこまで絶対的なものだとは考えていませんでした。

教会にも、やさしい人がいます。

欲深い人もいます。

信心深い人もいれば、偉くなりたい人もいます。

結局は、人間の集まりだと思っていました。

それでも、よほどおかしなことでなければ従いました。

衝突するのも面倒だからです。

みんなが喜ぶなら、聖人でいればいい。

本人にとっては、

聖人でも農民でも、どちらでもよかったのです。


⑨ 見えることより、どう生きるか

ある夕方、親しい友人がレミに尋ねました。

「もし明日から、誰もおまえを聖人と呼ばなくなったら、どうする?」

レミは鍬を止めました。

少し考えて答えました。

「畑を耕す」

「それだけ?」

「それだけ」

「では、もっと偉くなれと言われたら?」

レミは困った顔をしました。

「畑に行けなくなるから嫌だな」

二人は笑いました。

その向こうでは、小人たちが切り株の上で踊っていました。

レミには見えています。

けれど、もう誰にでも話そうとは思いませんでした。

理解してくれる友にだけ話せばいい。

見えない人に無理に信じてもらう必要もありません。

やがて畑に白い霧が流れてきました。

その中に、いつもの女神が立っていました。

少年のころから、ずっと変わらない姿です。

レミは小さく手を振りました。

女神も手を振りました。

そしてレミは、また鍬を持ちました。

人から侮られても、自分まで自分を侮らない。

人から拝まれても、自分を特別な存在だと思わない。

見えるものがあっても、それを誇らない。

人に理解されなくても、必要以上に争わない。

困っている人がいれば、できる範囲で手を差し出す。

結局、

聖レミが少年のころから続けていたことは、

何も変わりませんでした。

麦を食べ、

水を飲み、

祈り、

土を耕す。

そして、目の前の命を大切にする。

聖人になったから幸せになったのではありません。

人が自分をどう見るかによって、自分の生き方まで変えなくてよくなった。

それこそが、

女神さまの言った、

「不遇の終わり」

だったのかもしれません。